勝手にあつまってきた空気の読めないアセロラは、気の向くままに貶め辱め叩きだせ。
虫あみで足を払いこけさせ薄汚い後頭部に石を打ち据えろ。ねんどを口に押し込み、鉄鉱石を目に突き刺せ。DIYをしろ、アセロラという悪意と便意が綯交ぜになってできたゴミを抹殺し文字通り物体にするDIYを始めろ。
あつまれどうぶつの森で再びリストラさるはずのアセロラが、クソをゴリ推す何者かの仕業によって存在し続けていることはとても悲しい。
ディレクターか?デザイナーか?性癖を剥き出しにし、野性的な本能の向くままにクソアセロラをゴリ推している。我々の腸が意識せず蠕動運動をし排泄物を送出するがごとく、ゴリ推している。
こんな何も考えず目を大きくし、(今となっては時代錯誤だが)若者言葉を喋らせれば可愛いと評価されると思うのは非常に貧しい感性の人間のなせる業だ。
本物の動物と触れ合ったことはあるのか。動物たちが持つ野生本来の賢さに触れたことがあるか(ハムスターは家畜化されすぎており、刺激に対する反応で生きているため嫌いだ)。動物特有の感情表現の美しさを感じ取ったことはあるか。対して人工甘味料のように過剰に味付けされたゴミの様なアセロラは、感性を貧しくさせる電子ドラッグだ。
開発チームは世間の声を聴いたことはあるのか。Twitterで「アセロラ 求」と検索すると大抵「譲) アセロラ」がヒットする。こんな不人気クソとっととリストラしろ。現状維持ことなかれ主義の日本人的考えから脱却しろ。人材流動性をどうぶつの森にも取り入れろ。大人気ゲームに入れればそれでよしとし、自己研鑽をしないゴミアセロラが周りを不幸にし腐敗させることになぜ気づかない。叩きだせ、あつまるな、日本をだめにするアセロラを叩きつくし根絶やしにしろ。
どうぶつの森ブランドにしがみつくバカアセロラ
”安全地帯”で胡坐を掻く馬鹿どもを見たことはあるか。
有名ゲーム、大人気ゲームといった集合にはブランドを重視して入り込んできた馬鹿どもがいる。
そういった連中は、優秀のレッテルが無条件で貼られたと勘違いするのものだ。
酷いと自己研鑽をやめ、階層の底へと沈んでいく。
アセロラもその一人だ。いや、それこそがアセロラの本質ともいえよう。アセロラというのはそういった連中の代名詞なのかもしれない。
運よくあつまれどうぶつの森にしがみつけたバカアセロラは自己研鑽などしない。
「リストラされた住民ども、勝者は余裕を見せ裸で徘徊する。次回作で復活したければ裸になれ。」といった態度である。
馬鹿は馬鹿でも裸になる馬鹿がいるか、馬鹿にしやがって。勝手にあつまりやがって、怒りをAボタンに込めぶち叩く。汚物逆上。下水を逆流した汚物のように膨れ上がるその怒りに、気圧されそうになる。
恥じらいゆえに外に出られないという。
このクソに常識があるように見える人もいるかもしれないが、これは誰かに”言われたから”恥ずかしいと感じているに過ぎない。
論理的に考えていない。ルールベースだ。人工無能で知られたELIZAのように、定型文を返しているに過ぎない。あつまれどうぶつの森になっても相も変わらずだ。2020年の今現在も人工無能の動物を騙るゴミアセロラが徘徊する汚物ゲームだ。ど汚物の森で人気ゲームというブランドに胡坐掻く排便ゲームだ。スローライフの形骸化であり、衰退し行く日本の未来縮図なのだということを教えてくれる。
大企業という殻は、非常に分厚いものだ。”直接来社”など聞き入れるものか。社員どもはこぞってキチガイが来たと浮足立つが、他人事程度にしか捉えられない人々だ。
クソ生みの親も大企業という大きなマシンの小さな歯車の一つに過ぎない。そして、そのたった一つの小さな歯車が、この悪意と便意を全裸で巻き散らすアセロラを生み出したというインパクトの大きさには目を見張るものがある。
呆けたクソのアセロラをぶち叩け。服さえ脱ぎ捨てる野蛮ど汚物アイドルアセロラに虫あみを振り下ろせ。
夢なし信念なしアセロラは脳なし
アセロラぐらい最強人気アイドル勝ち組上級住民になると、人生余裕だ。
人前でクソをして見せるなんて朝飯前どころか食事の前に必ずするし、裸で徘徊なんて頼まれなくてもやる。
マズローの欲求段階なんて理論は馬鹿の考えぐらいにしか思っていないし、増してや夢を持って生きるなんていうのはリストラされた住民のみみっちい考えに過ぎない。
人の成長が、考えを改めることにあるなんていう風には考えないから、定型文で返せばいいと思っている。
とりあえず叩かれたら「イタイ!イタイってば~!」といえば、誰かが虐待だなんだとわめいてくれると信じている。
どうぶつの森シリーズにいればもれなく人気だし、アイドルを自称できる。
能力に対してどうぶつの森シリーズの住民という地位が不釣り合いとは思っていない。だから『ピーターの法則』という本は鍋敷きのDIYレシピぐらいにしか思っていない。
自己を客観視することもできず、人様の声に耳を傾けることもしない。いくら年を経ても幼児のような顔つきだ。礼儀すらままならない。
成長をせず、ただ死に向かうだけの存在だ。まるで感性が閉じ込め症候群になったかのようなゴミの存在アセロラは今すぐ住民という地位を返上し、この世から消え去らなければならないはずだ。