どうぶつの森で唯一、汚物をモチーフにしたど汚物住民アセロラは今日も元気に島を徘徊していました。
自身の醜さから目を背け、スカウトされるという妄想に耽っているようです。そもそもこのような閉鎖的な島でスカウターがいるのだろうか。
雨の中でもスカウトを待ち望み徘徊するそのエネルギーはどこから来るのか。この支離滅裂な設定は、どうぶつの森シリーズで唯一汚物をモチーフにしたアセロラだからこそ表現できるものなのかもしれません。
そんな血便アセロラですが、あろうことか徘徊を打ち切り野外排便を始めました。
共感性・道徳観欠落 野外排便ど汚物アセロラ
雨が降る野外の中、排泄を決行する。この意思決定のメカニズムは一体。
人様の疑問をよそに、このクソのカスのアセロラは排便を始めました。
快楽に耽り、お馴染みの気持ちよさそうな表情を役所の近くで見せつけるアセロラ。
これはどうぶつではなく、ど汚物なのだと。自分に言い聞かせ網を振るうほかありません。
あろうことか逆上するという始末です。 自身の非を認めず、目的の排泄を強行する。目的のためであれば手段や周りをいとわないこの性質は島に不和をもたらすど汚物といっても差し支えないでしょう。
アセロラは悲しみや怒りも排便の快楽で上書きする
虫あみで叩き是正しようと躍起になっていると、アセロラの不思議な現象を目の当たりにした。
最も不思議というのは語弊があり、本質をむき出しにした現象というべきでしょうか。
望む排便ができず悲しむアセロラ
これは私に”指導”をされ悲しむアセロラの姿だ。
自身の行いを客観的に見ることのできないアセロラは、野外排便という行為の異常性に気づかない。行動を正すために虫あみによる指導を行っていると理解できないのだ。
非常識な行いを省みることなく不満の表情をこちらに向けている。
排便の快楽をむさぼるアセロラ
気持ちよさそうに目をつむり、顔を上げ、時には薄ら笑いを浮かべる。この状態になるとトイレの前がふさがれていようがいまいが、トイレから降りることはない。
要するに、排便をしている最中なのだ。
顎を天に向け上げるその姿は神をも愚弄するかのようで非常に冒涜的で、このアセロラの価値は微塵もないということを理解させてくれる。
排便の快楽に抗えず顔を歪めるアセロラ
ここからが本題だ。以上で述べたアセロラの状態を合わせたかのような表情が存在するのだ。
以下が、悲しみと怒りの感情と快楽とが綯交ぜになるアセロラの姿だ。
通常時の悲しみの表情とは異なり口角が上がっているのがわかる。これは、排便時の快楽をむさぼっているためだ。
悲しみをも超える快楽がアセロラを襲う。口角は上がり、通常の排便時と同様に顎を上にあげているのがわかる。
悲しみをよそに目をつむり、排便に身をゆだねるアセロラ。緊張はほどけ、まさに”開き直り”の状態だ。
怒りの状態にあっても同様だ。目は怒り状態と同様だが、口許は快楽でほころんでいる。
アセロラの新特技 野外排泄を目の当たりにして
天気が一変しても野外排便をし続けるアセロラ。
これがあつまれどうぶつの森における新しいアセロラの特技なのだということを嫌というほど気づかされた。
これこそがあつまれどうぶつの森の海外版サブタイトルにあるNew Horizonが意味するところであり、クソゲーたる所以なのでしょう。
野外排便が特技のど汚物はどうぶつの森シリーズに必要なのだろうか。アイドルになるといった妄想をし徘徊し、疲れたら人様の前で排便をする。これを正そうと叩けば逆上し、排便時の快楽に耽り顔を歪める。
悲しいことに網を振るう回数は普段より一層と増し、どうぶつの森を心の底から楽しめていない自分に気づいた。
アセロラは認められるべき多様性なのか?
どうぶつの森シリーズには300を超えるキャラクターがいるが、いずれの住民もクオリティが高い。なので汚点がアセロラだけなのは不幸中の幸いなのかもしれない。
シリーズを経るごとに新たな住民が追加され、不要な住民は”リストラ”されてきた。
汚点アセロラが削除を免れたのはNew Horizonと掛けたいがため、ダイバーシティを考慮して、の2点であると推察できる。
野外で排便をし、ほかの住民へ攻撃をし不和をもたらすアセロラを”新たな地平性”と捉えることは正しいのだろうか。
アセロラの新特技である野外排便は公に認められるべき”多様性”なのだろうか。
堕落的趣味を後押しするアセロラを許してはいけない。